皐月となれば儚い桜の面影も忘れられ、生気あふれる新緑の盛りです。
この月には新緑とともに忘れられない思い出があります。
私事ですが、30歳の5月に広島にて、初めて父親に会いました。
私は生まれも育ちも東京、かたや父は生まれも育ちも広島でした。
生涯交わることはないはずでしたが、父から手紙が届き、それを機に会うことになった次第です。
父はすでに他界しましたが、筆をとったことは一大決心だったことでしょう。
私は広島を訪れること自体初めてで、先ずはひとりで導かれるように宮島を訪れました。
瀬戸内の穏やかな海にたたずむ、朱色の大鳥居。
その景色を見て、心を落ち着け、整えることができました。
翌日、父に会う前に原爆ドームのある平和記念公園を訪れました。
この場所も宮島も、日本人ならばこそ、自ずと赴きたくなるのではないでしょうか。
凄惨な骸のような原爆ドームの周りには、燃えるような萌黄色のクスノキがひしめいていました。
GW中だったので、老若男女が文字通り平和を謳歌しています。
惨禍の過去と平和の現在、遺骸の灰色と生命の緑。
そのコントラストが錯綜して、私は人目を憚らず泣きました。
父の地、自らの血の地を踏んだ感慨も拍車をかけたのかもしれません。
それから数時間後、私は約束していた路面電車の停留所で、見たことのない父の姿を探しました。
晴天の暑い陽射しの中、ゆっくりとした足取りでやってくる…。
私の中で空白だった父が形を帯びた時、心に新たな境地が注がれました。