私の母はサンフランシスコで生まれ、父は広島で生まれました。
母の出生年は先の大戦が始まった年、父はその4年後なので戦中只中です。
なお文章で母が先に来ているのは、私は母の実家で生まれ育ったからです。
母の家族は戦中は一時日本人の収容所にいたようです。
父の住まいは原爆爆心地の範囲内でしたが、療養のため田舎に帰っており難を逃れました。
広島で当時を知るかたから聞いた、「夾竹桃の赤い花を見ると、血の色を思い出す」という凄惨な言葉が胸に刻まれています。
自分の出自については若い頃は意識したことはありませんでしたが、年を経ると人はルーツを偲ぶようになりがちです。
私は、米国と広島の因縁があるだけに、先の大戦については相応に深く考えさせられます。
戦後80年、生き証人が希少になっていく中、歴史を継承していく責任を感じます。