2016年10月に私はこの会社の代表に就任しました。
その前に、覚悟を決めるため米国にある母方の祖父の会社の跡地を訪れました。
同年の夏、奇しくもアメリカ独立記念日の頃。
桑港のドラゴンゲートにビルは残っており、私が訪問した時のテナントは骨董品屋でした。
そこで私は、戦前の船の時代に貿易商を志した祖父の勇気に思いを馳せました。
ここまでしたのは、もとより私の人生に社長という想定も選択肢もなかったからです。
父方の祖父は広島爆心地の焼け野原で仕立て屋を営みました。
近くにあった中国電力の顧客に恵まれていた頃はとても隆盛だったそうです。
しかし後年、テーラーは職人技から量販が主流になりました。
いかなる事業も、盛衰があるものだと切に感じます。
両祖父の血が私にも少しは流れている、それが大役を引き受ける拠り所になりました。
代表就任時に広島を訪れた際、厳島神社で社運隆盛の御祈願を行い、毎年続けています。
来月で9年目になりますが、ここまで続けてこられたのは皆様とのご縁のおかげです。